望みを叶える物語

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親を憎め!『アダルトチルドレン』の希望

今回は、ここ数年考え続けているテーマのうちの一つである「アダルトチルドレン」について。

 

テレビでも一時期広く報道されることもあり、耳に挟んだこともある人も多いだろう。後述するが、私も、アダルトチルドレンの特徴をほぼほぼ満たしているようだ。

 

まず、概念の説明の前に下記を見てみて自分と照らし合わせてみてほしい。

 

アダルトチルドレンの特徴

  1. これでいいという確信がもてない
  2. 物事を最初から最後までやり遂げることが困難である
  3. 本当のことを言った方が楽な時でも嘘をつく
  4. 情け容赦なく自分に批判を下す
  5. 楽しむことがなかなかできない
  6. まじめすぎる
  7. 親密な関係をもつことが大変難しい
  8. 自分にコントロールできないと思われる変化に過剰に反応する
  9. 他人からの肯定や受け入れを常に求める
  10. 他人は自分と違うといつも考えている
  11. 常に責任をとりすぎるか、責任をとらなさすぎる
  12. 過剰に忠実である。無価値なものとわかっていてもこだわり続ける
  13. 衝動的で、ほかの行動が可能であると考えずにひとつのことに自らを閉じ込める

(参考:『アダルト・チルドレン』金剛出版)

 

上記がアダルトチルドレンの特徴である。多かれ少なかれ誰にもあてはまる特徴である。つまり、アダルトチルドレンは"カテゴリー"でなく"性質""度合い"の概念である。

 

昨日、読んだ本も一部「アダルトチルドレン」についての記載があったので、紹介しておく。 

 

(参考)

親子ストレス―少子社会の「育ちと育て」を考える (平凡社新書)

 

 

アダルトチルドレンとは

 

「アダルトチルドレン」という言葉は、もともとアルコール依存症の治療現場から生まれ、1970年代にアメリカのソーシャルワーカーたちにより使われはじめた概念である。元来は「アルコール依存症の親をもつ家庭に生まれ、現在大人になった人」という意味であった。アルコール依存症の親を持つ子どもたちは、概して「いい子」「やさしい子」「しっかりした子」が多いのだが、大人になってから「生きづらさ」を強く感じるようになり、自らもアルコールや薬物などに依存してしまったり、鬱状態におちいったりするようになる傾向が強い。

 

幼い頃から出来の悪い親に我慢し続けることで、自分の中の正直な感情をうまく外に出せなくなったことと、自分が我慢して親を支えているという感情を無意識に抱く事で、実は問題を持つ親に依存してしまっていることに気がつかなったため怒るとされている。

 

80年代に入ると、親が何かに病的に依存するという問題を持っていて、(これをアディクション=嗜好という)、その親に育てられた場合に、その人をアダルトチルドレンという、と拡大されて用いられるようになった。嗜好の対象は、たとえば仕事、ギャンブル、食事のようなものなど多岐にまで広がるようになる。仕事中毒(ワーカホリック)の親に育てられた子どもは、それだけでアダルト・チルドレンになりやすいわけである。

こういう嗜好を持った親がいる家庭環境は、常に緊張状態にあり、子どもは常に親含めた周囲を気にしながら生活しなくてはいけない。こうなると「家」は、子どもが安心して自分自身をを表現できる「家」としての役割を果たしていない訳だから、「機能不全家族」ということになる。

 

私の場合は、幼い頃から両親/祖母含めた家族の関係性が悪いことが多く、罵声の嵐と宙を舞うなんやかんやがコンスタントに発生した記憶がある。今思えば、結構アレな状況である。

 

アダルト・チルドレン研究の中で、機能不全の家庭は つぎのような暗黙のルールに支配されていることが明らかになっていると言われている。

  1. 問題について話してはいけない
  2. 感情を率直に表現してはいけない
  3. いい子にならなければ愛されない
  4. 自分勝手な子は愛されない
  5. ありのままの自分には価値がない

 

子どもは絶対的に無力だ。親を含めた親の庇護がなければ生存することができない。

子どもは、安心できない厳しい環境において自分を守るために。上記のような価値観を自らの行動規範奥深くに植え付けていく。

 

それが無意識下に抑圧されていることが、漠然とした「生きづらさ」を引き起こしていることも多い。

このような話をすると「虐待されたり、劣悪な環境で育っていても、力強く朗らかに生きている人もいる。出自や環境のせいにするのではない!」という反論もちらほら聞こえてくるが、それは「たまたまそうだった」それだけである。

 

社会的是非を問うたり、決まったあるべき論で、皆が救われるならこんなに簡単なことはない。

 

「アダルトチルドレン」という概念は、「生きづらさ」を抱えている人の思考装置である。私たちは、得てして「自分のせいにしすぎる」生き物だ。

 

なぜなら、その方が簡単だから。幼い頃の自分は、自分を取り巻く世界(=親)を殺すか、自分の心を殺すかなら、迷わず後者を選ぶであろう。世界からの庇護を得て、生きるためである。

幼い頃の私たちが選んだ懸命な選択が、今の私たちに「生きづらさ」という負債を運んできている。

 

この構造に私たちは中々きづくことができない。

いや、本当は気づきたくないのかもしれない。誰しも自分の世界(=親)を憎みたくない。また、この世間も「親に感謝」が賞賛される風潮だ。親を悪く言おうものならば、自己責任論で総攻撃を食らう。(虐待など一部は例外)私たちにとっては、非常に逆境なのである。

 

だからこそ、勇気を持とう。殺した自分の心を取り戻すために。

あの頃、選ぶことができなかった、「世界(=親)を殺す」という選択、今なら出来る。

 

私は、あの時なにを感じていたのか?

私は、本当は親にどうしてほしかったのか?

私は、私の望んだことをしてくれない親をどれだけ憎んだいたのか?

私は、私を守るためにどんな考えを持つようになったのか?

私は、あれからどれだけ頑張ってきたのか?

 

あの頃の私たちに聞いてみよう。あの頃の私たちは、少しづつ語ってくれるであろう。その一言一句を聞き逃すな。全部受け止めろ。

 

抑圧された状態では振り回されるばかりであった彼らの声も、受け止めれば昇華され少しづつコントロールすることができるようになる。

 

まず、自分自身が真っ向から受け止めることだ。その上で、出来たら勇気を出して親に伝えてみてほしい。親も受け止めてくれるかもしれないし、受け止めてくれないかもしれない。ただ、解放する事に意味があるのだ。

 

受け止めてくれない親がいたとしたら、彼らもまた「アダルト・チルドレン」を内包しているのである。彼らもまた苦しんでいる。(意識的にせよ、無意識にせよ。)

 

親を憎みつくす。この過程は、とてもストレスがかかるものだ。何かが一気に変わる事もないし、もしかしたら傷つくこともあるだろう。

 

でも、逃げないでほしい。自分のために。

「生きづらさ」を克服し、自分の感情に敏感に、欲求に素直に生きるために。

自分の人生の舵取りを自分でしたいのならば、乗り越えていくんだ。

 

私もこれから正念場。

 

大丈夫。何とかなる。

 

 

アダルトチルドレンについてお悩みの方の力になります。下記記事をご覧下さい。

blog.nekopenguin.com