願いが叶う物語

"本当の自分"を表現したい貴方へ。自由な生き方&ビジネス教えます。

「死なないように生きる」という矛盾

f:id:nekopenguin0705:20141214231736j:plain私は空白の時間が嫌いだ。

誰とも会っておらず、何も生み出しておらず、何も消費していない。そのような時間に、腹の底からわき上がる居心地の悪さ・不安感を感じる。

 

これまで私は、その居心地の悪さ・不安感から逃れるように、様々なものに自分の身を投げ込んだ。

 

 

仕事、読書、SNS、一人旅、SEX...

 

別にそれが悪い事とも思っていなかったし、別に今も思っていない。

ただ、間違いなく私は"何か"から逃げていたのだ。

 

そして、最近になって私はその正体がわかったのだ。

 

常に、自らに何を問うか?

先週、私ある人を訪ねることにした。人生の節々で、いつも話しを聞いて頂いている方だ。常に、彼からは道を拓くクリティカルな一言をもらうことになる。

 

「明日、死ぬとしたら今日何をする?」って事だよ

別に、初めて聞いた言葉ではなかった。
有名な政治家や、経営者や、アーティストなど、「成功者」と呼ばれる人が、口に出すことも多い。彼らは、大病や、身近な人の死や、世界の貧困地域の子供との出会い、などの強烈な原体験から、上記のような価値観をもつようになるという。
 
聞くタイミングによっては、聞き流してしまう言葉だったかもしれない。でも、今回は何故か考え込んでしまった。そして、一つに考えに行き着いた。
 

 

私が逃げていたのは「死」であった

冒頭の話し。私が逃げていたもの。

その正体は「死」であった。

 

何もない空白の時間。その時、最も「死」の足音が聞こえるのだ。一秒一秒、私は確実に死に向かっている。心臓が鼓動をうつたび、生物として確実に"痛んでいる"という絶対的事実。そのことに、意識するにせよしないにせよ、目を向けさせられるのである。

 

そして、私は逃げ続けていた。

「死」と向き合わず、傷つけられることない「生」を求めていた。

 

馬鹿げた幻想だ。生きることは、痛んでいくことである。その変化は止められない。そして、その変化すらも許されない、「死」はある日突然訪れる。

 

どうしても理解したくなかった。私が恐れてことは、常に「死」であった。

 

そんなことしたら、職を失うかもしれない

そんなことしたら、家族を養えないかもしれない

そんなことしたら、周りの人から批判されるかもしれない

そんなことしたら、、、

そんなことしたら、、、

そんなことしたら、、、

 

どうなることが不安なんだ?なぜだ?なぜだ?なぜだ?

 

「死ぬ」ことが恐いんだ

 

だから、死なないように生きているんだ。

死なない"未来"のために"いま"を差し出しているんだ。

「死んでいない」"いま"にすがりついて、常にロスタイムの延長を願っているんだ。

 

「死んでいない」ことを必死で守って、それ以外の出来事は"おまけ"

確かに、大きく傷つくことはないかもしれない。でも、そんな生き方で心震える喜びを得ることは決してできない。

 

もう一度言う。何度も言う。

 

生きることは、痛んでいくことである。その変化は止められない。そして、その変化すらも許されない、「死」はある日突然訪れる。

 

不確かな”未来”のために、”いま”を犠牲にするな。死なないための”いま”を生きるな。

 

「いま」を差し出せば、確実な「未来」が与えられるなんて思っているのか?本当に思っているのか?

 

死は誰しも平等だ。そして、”いま""ここ"に「死」はある。
 
それなのに、私たちはしばしば死から目を背け、”いま”を差し出した確実な見返りを要求する。そんなのは、わがままだ。幻想だ。
 
死から逃げるな。私は私に言い聞かす。
 
未来を欲してしまう自分の”いま”を満たせ。死ぬために”いま”を生きろ。
 
全てはいまここにある。
 
大丈夫。絶対死ぬから。だからこそ、なんとかなる。