願いが叶う物語

"本当の自分"を表現したい貴方へ。自由な生き方&ビジネス教えます。

強くなりたいという願い。表裏一体。

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自分の中から自分を殺さんとする衝動。

 

この衝動に、10代から20代前半は翻弄され続けてきた。

 

ただ、最近は無理に押さえ込むことなく、ただその衝動を見つめることに徹している。今後、そんな衝動はなくなるかもしれないし、もしかしたら悪化するかもしれない。どうなるかはわからないけれど、この衝動を抱えている"私"しか、私にはないのだから。諦めである。

 

衝動を見つめる時間は、日記やこのブログを読んでいることが多い。

  

ふと読み返すと、自分が書いたにも関わらず違和感を覚える。記事の序盤は、"私"という一人称が語っているが、後半では主語はなくなり"私"ではない何かが書いているような錯覚に陥る。

 

"何か"ってなんだ?

 

それは、強くなりたいという願い。

 

勝手な常識の枠を想定しているのも、"私"

その枠に収まりきらず、どうしようもなく自己嫌悪するのも"私"

自己嫌悪から目を背けるために、他者を否定したくなるのも"私"

自分を理解してほしいにも関わらず、傷つくのが恐くて動けないのも"私"

自分から動けないくせに、一方で理解してくれない他者を憎んでしまうのも"私"

・・・

 

その全て、弱くて弱くてどうしようもない"私"、ほっといたら誰かに殺されそうだ。

だったら、その前に殺したい。

 

 

でも本当は生きたいんだ。どうしようもないほど、そう思ってしまう。

 

私にとって、弱さは常に希望だった。「死にたい」と願う自分は「生きたい」と願う自分でもあり、「こうなれない」と嘆く裏側には、常に「こうなりたい」と激しく切望している自分がいた。何かに手を伸ばし続けている自分、ひとりの、普通の、どこにでもいるような人間の苦悩、そしてよろこび。自分の無力さに打ちのめされてしまう瞬間は辛いが、人間的な弱さにこそ、常に希望は宿ってきた。

社会性を保ちながら狂え。ー 「どうにでもなれ」の自暴自棄と「どうにかなってくれ」の切実な感情に揺られながら。 - いばや通信

 

「弱さ」を認めることが、本当の勇気、強さなんだと思う。

強い人間なんていない。いるのは、強くなりたいと願う人間だけだ。

 

「弱さ」を認める。そのために、私はどうしようもなく「弱い」自分を出し続ける。

【日特】「出す」ことで人は幸福を感じる。そして居場所をつくりだせる。 - 日本特殊実験室

 

そして、「弱い」自分が手を伸ばしてしまう、「強くなりたいという願い」を書き続ける。二度と見失わないように。

 

大丈夫。何とかなる。