願いが叶う物語

純粋で、透明な、自然【Natural Being】へ還る。

欲求と恐れ・不安の綱引き

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ドリップコーヒー@400円  Cafe Concent 名古屋駅店(名駅/カフェ)

 

 

現代日本において、特に「職業」「肩書き」とは、自分を語る上で非常に便利なものである。しかし、その便利さの頼れば頼るほど、私たちは私たち自身を表現する言葉を失っているような気がしてならない。

 

私は、A社につとめています。

私は、部長をしています。

私は、○○という仕事をしています。

私は、○○という能力があります。

私は、○○という実績を残しています。

私は、○○を経営しています。

私は、○○家の父です。

 

・・・

全て間違っていない。

しかし、私はとても物足りなさを感じてきた。結局、核となる"私"とは何なんだ?

何をもって、自分と社会をつないでいけば、一番しっくりくるのか?

 

職業、肩書きを語るのを捨ててみて気づいたこと

私は、職業、肩書きを語るのを捨ててみて気づいたのは、自分自身を表現するための一番しっくりくる方法は、「何を欲しているのか?」という問いに答え続けることだということだ。

 

外から見える、職業、肩書き、実績、所属、役割などを一枚一枚剥がしていったら、最後に残るのは、誰しも「生きたい/死にたくない」という衝動であり、それに紐づく「欲求」だ。

 

その、核ともいえる「欲求」を表現していき、それに基づき選択していくことが、一番しっくりくる方法であり、健全に自分と社会をつないでいく、第一歩だと思う。

 

欲求と、恐れ・不安の綱引き

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私は、「欲求」に100%素直に生きていきたいと願う。しかし、現実はそれにストップをかけてしまうことも多々ある。それが「世間体」や「周囲の評価」や「自分がつくった常識」などの「恐れ・不安」である。

 

もし失敗したらどうしよう?

もし人に笑われたらどうしよう?

もし嫌われたらどうしよう?

もし収入がなくなったらどうしよう?

・・・

私たちが、これまで生きてくるために過剰に背負ってしまった「恐れ・不安」が、「欲求」の足を引っ張る。では、どうすればいいのか?「恐れ・不安」をなくせばいいのか?

 

「恐れ・不安」はなくならない

「恐れ・不安」は絶対になくならない。それは、「恐れ・不安」の本質的な対象が、

 

 

であるからだ。

※乱暴に言うと※

もし失敗したらどうしよう?(失敗して、心身ともに傷ついて、その先には死が)

もし笑われたらどうしよう?(笑われて、見放されて、一人になって、その先には死)

もし嫌われたらどうしよう?(嫌われて、見放されて、一人になって、その先には死)

もし収入がなくなったらどうしよう?(収入がなくなり、食べるものもなくなり、その先には死)

 

意識的に起きている思考ではなく、私たちは反射的に上記のような判断をしている。

確かに、極論と言われるかもしれないが、私は断固主張する。

私たちの欲求にストップをかけるのは「死」への「恐れ・不安」だ。

 

だからこそ、何度も言う。

 

私たちは、絶対に死ぬ。

 

【日特】「死なないように生きる」という矛盾 - 日本特殊実験室

 

 「死」という絶対的な存在があるからこそ、「恐れ・不安」がなくなることはない。

最大限、「欲求」に素直に生きるには、

 

自分が恐れているものは何か?それを恐れるようになったのはなぜか?

 

という問いと向き合うことだ。そうすれば、「恐れ・不安」にふりまわされることがなくなる。そして「欲求」と「恐れ・不安」を自分の中で適切に天秤にかけながら、自分で選択することができる。

 

欲求が見えなくなる病

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上記には、「恐れ・不安」と上手くつきあい、「欲求」に素直に生きる方法を書いた。しかし、世の中には、そもそも「何がしたいかわからない。何もしたくない。何も要らない」と自分の欲求を感じることができなくなっている人もいる。

 

私もまさにそういう人間だった。

世間体、周囲の評価、自分のつくりあげた常識から「こうあるべき」「こうしないといけない」という固定観念にのみこまれていた。自分ではのみこまれていることすらわからなかった。何が原因かもわからず、漠然とした息苦しさ・生きづらさを感じていた。真綿で首を締められて、徐々に自分が世界からはじき出されていくような感覚だ。

 

「恐れ・不安」に溺れた先にあるもの

当時の私の状態は、「恐れ・不安」に溺れていたとえるであろう。「生きたい」という衝動に基づく「欲求」も全て「恐れ・不安」に飲み込まれていた。私は「何がしたいかわからない。何もしたくない。何も要らない」と叫ぶことしかできなかった。

 

私は、この異常さに気づき、はじめて自分の抱えていた「恐れ・不安」と向き合いはじめ、なんとか今生き続けている。

 

だから、息苦しさ・生きづらさをかかえている人には伝えたい。

 

「死」を受け入れ、「恐れ・不安」と向き合え

 

道を拓くにはそれしかない。そこから逃げ続けている限り、「欲求」を取り戻すことは出来ず、その状態が続けば最悪の場合は肉体的・精神的問わず「自分を殺す」ことになる。

 

自分を殺すな。早まるな。絶対死ぬから安心しろ。

 

 

私は、死を受け止め、「恐れ・不安」と向き合う人を応援したいし、祝福したいし、その隣にいたいのだと思う。

 

自分を救い、誰かを救いたい。

 

大丈夫。何とかなる。