願いが叶う物語

純粋で、透明な、私へ還る。

大丈夫。ありのまま、感じたままでいい。自分を信じていい。〜高校生から学んだ事〜

f:id:nekopenguin0705:20150213114654j:plain

2月9日から11日まで神戸に滞在していた。

トップの写真は、「神戸港からの夜景と私@ポーアイしおさい公園」

カップル達をよせつけない圧倒的自画撮りである。天上天下唯我独尊。

 

これはあくまで余談。

 

今回の訪問の目的は、ある高校でキャリアについて授業をすることだった。とはいっても、主役は大学時代の友人で、私は授業の中で行うワークショップの手伝いという立ち位置だ。

訪問から約1週間前、今回授業を行うことになった友人から相談を受けた。

 

「どうやったら生徒は主体性をもって、将来について考えて・行動してくれるようになるかな?」

 

全国の教育者が常に探求し続けているテーマであり、各地のおのおのが迷いながらも仮説・検証を続けている。

 

絶対的正解はないし、なにか法則を伝えるのも違うと思う。

だから、結局一番大事なのは、友人自身の体験と、その時感じたことを最大限伝えて「在り方」を感じてもらうことじゃないか?

そんなことを話したような記憶がある。

 

友人は、大学時代にラオスに学校を建設したり、また貯金0から世界一周をしたりと、とにかく、やりたいことを「発信」し、「実現」してきた。そのような姿に、友人である私も非常に勇気をもらってし、大げさだが一つの「希望」であったとも言える。

 

だから、友人の「在り方」は、高校生である彼らにも「希望」を与えてくれる。そう思ったのだ。

 

そんなことをあーだーこーだ話している中で、友人から一言

 

「手伝いにきてよ」

 

一応、カレンダーを確認したが、その前に答えは決まっていた。また、「2月9日」に書き込まれていた私の予定は「どこかへ旅行」だった。これをと呼ぶのか?セレンディティピィと呼ぶのか。絶好のタイミングだ。

 

そして、神戸へ

2月9日。私は神戸に降り立った。人生初神戸である。新神戸で友人とおちあい、迎えにきてくれた先生の車で高校に向かうことになった。ちなみに、その学校の先生は友人と高校時代からの同級生であり、今回もその縁でということらしい。

 

f:id:nekopenguin0705:20150213120921j:plain

昼食を食べながら、会議と呼ぶには疑わしい、会議的な何かによって、授業の構成を決めた。

 

前半1時間:友人の大学時代の「学校建設」「世界一周」の講演

後半1時間:ワークショップ

 

私は、後半のワークショップが実りあるものになるよう、生徒と積極的にコミュニケーションをとろうと考えていた。

 

高校に到着後、いざ授業へ。

高校1年生、2年生あわせて約80名。

彼らに何かをどれだけ残せるのか?

 

友人の講演は、私の個人的な感想でいえば、やっぱりとても面白かった。自分の知らない世界に飛び込んでいく勇気と自由さを、世界各地で撮った写真などを交えて表現できていたかと思う。生徒も興味深く聞いているように思えたが、若干世界史・地理の知識がなく、「キョトン」顔も見受けられた。まぁ、それも愛嬌。

 

そして、後半のワークショップ

ワークショップの目的は「生徒が、心からの願望を表現し、それを実現するためには?ということを思考させる」ことにあった。

 

【手順】

1.「目の前に100億円あって、周りの人も応援してくれるとしたら、何がしたい?」何でもいいので、10個書き出して下さい。

 

2.その中から、とくに実現したい!と思えるものを一つ選んで下さい。

 

3.それを実現する「期限」と、そのために必要な「ヒト」「モノ」「お金」「知識」を考えてみましょう。

 

友人のガイドのもと、生徒一人一人が紙とペンをもって、まず10個書き出す作業をはじめた。

 

白紙のままの生徒

私は、生徒の間を巡回しはじめた。

そして、戸惑うとともに驚いた。

 

ペンを持ったまま何も書けない子がいる。それも、一人や二人じゃない。

 

このような事態を想像しなかった訳ではない。確かに、いきなり書けといわれてもすぐには書けないだろう。でも、彼らはいつまでたっても書き始めない。そもそも、書く意欲すら感じられないような子も多くいる。

 

私は、彼らが何を感じ、何を思っているのか?知りたくて、ある男の子に話かけたみた。

 

「なかなか、書くの難しいかな?」

「うん。」

「まぁ、いきなりだしね。何でも良いって逆に困っちゃうかもね。」

「うん。何書いたらいいかわからない。」

「そかそか。本当に何でもいいし、どんな大きなことでも、どんな小さなことでもいいし、誰もここでは笑わないし、馬鹿にもされないし、何でもいいんだよ。」

「本当に何でもいいの?」

「もちろん」

 

男の子に頬に赤みがさしていた。それを見て、ほのかに生気が宿った気がした。

 

そして、おもむろに書いたことが。

 

 

「東京に住みたい」

 

 

「東京に住みたいんだ。いいね!どうして住みたいの?」

「かっこいいから。一回住んでみたい」

「そうか!確かに、かっこいいもんね!色々方法はあるし、絶対住めるよ!」

 

彼の、はじめて笑顔がみえた。その笑顔にあったのは、安心なのか喜びなのか、なんなのか。

 

「こんな感じで、どんどん書いてみてよ!自分がしたいことだったら、何でもいいからさ」

 

彼は、また2個目を書くため、紙に向かっていた。

 

何を恐れているんだ?

私は、白紙のままの生徒に次々と声を書け続けた。

彼らは、はじめの男の子と同様、声をかけて、勇気づけしていくことで、どんどんやりたいことを書くようになっていった。

 

ベンツにのりたい。 

海外にいきたい。

USJで働きたい。

公認会計士になりたい。

彼女がほしい。

世界中のタルトを食べたい。

幸せな家庭をつくりたい。

アイドルになりたい。

可愛くなりたい。

 

その一個一個を認めていく。一個一個に「いいね!」「おもしろいね!」「素晴らしい!」「絶対やろうよ!」などの声をかけていくと、どの子も戸惑った表情から笑顔が溢れ出した。それが希望だった。

 

そして、彼らと話していくうちに、彼らの感じていることが、朧げながらもわかるところがあった。

 

メディアから、学校から、家庭から不安と恐怖の情報を浴びせ続けられる日々。

様々なメッセージの背景にある、「この世界は危険だ。あなたは大丈夫じゃない。だから、あなたのためを思って〜」という暴力。

 

幼い頃、小さい頃は、表現できていた「こうしたい!」「こうなりたい!」

いつから、その表現することすら、認められなくなったのだろう?

いつから、表現することを諦めてしまったんだろう?

いつから、自分の心の声に聞こえないふりをするようになったんだろう?

いつから、自分の心の声すら聞こえなくなってしまったんだろう?

 

結局、彼らも、過去の私も一緒だった。

 

 

大丈夫。ありのまま、感じたままでいい。自分を信じていい。

 

 

そのメッセージを欲していた。それさえあれば、自由になれる。希望がある。

その機会が、彼らには絶対的に不足していたのだ。

 

でも、今日この日に出会った、赤の他人の私の一言で、大きく変わった。確かに、一時的かもしれない。また日常の生活の中で、自分を殺してしまうかもしれない。

でも、こんな自分の願望を表現できる自分がいるんだ!ということを、絶対忘れてほしくなかった。

 

不安からは、さらなる不安しか生まれない。

不信からは、さらなる不信しか生まれない。

抑圧からは、さらなる抑圧しか生まれない。

 

不安ではなく、希望が人を活かす。

不信ではなく、信頼が人を強くする。

抑圧ではなく、解放が人を自由にする。

 

 

変化の激しい時代、何が起こるかわからない時代。今まで、信じれたものが、明日には変わってるかもしれない。価値観の大転換期。自分の未来は、自分で切り開いていくしかない。自分で決めて、自分で創っていく。それができる時代だ。

そして、その力は誰もが持っている。

 

私は、素晴らしく。あなたも、素晴らしい。

私は、幸福である。あなたも、幸福である。

私は、成功できる。あなたも、成功できる。

 

私は、信じたい。だから、常に表現し続けて、私が望むものを創っていく。

 

大丈夫。絶対大丈夫。