願いが叶う物語

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【禅問答】全ての自意識こじらせ系人間に告ぐ〜私だけは私を知ってあげたい〜

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3月。リクルートスーツの後ろ姿を見ることが増えた。今年度より、採用活動解禁が正式に3月と決まり、続々と会社説明会が開かれている。

 

 

シュウカツ。

 

多くの大学生にとって初めて、「自分はどう生きたいのか?」「自分は何がしたいのか?」「仕事を自分の人生の中でどう位置づけるのか?」「自分が資本主義市場の中で提供できる価値は何であろうか?」など、自己の存在証明を求められるフィールドだ。「日本においてのシュウカツのあり方は本当に在るべき姿なのか?」ただ、今日はそのようなあるべき論について主張したい訳ではない。

 

自分のことが理解できず、それでいて理解できていないものについて、"論理的に""わかりやすく"表現されることが求められる。だから、違和感があっても有り体の耳障りのいい言葉に自分の存在を押し込める。そのことに苦しみながらも、「かくあるべきだ」という概念で自我を抑圧し、なんとか毎日を生きている。

 

そのような「自意識こじらせ系人間」に対して、

自己の存在証明を"他者の対して"しようと集中するあまり、自分を見失っていないか?まず、伝えるべき相手は誰なのか?

と、問いを発したいのだ。

 

全ての自意識こじらせ系人間に告ぐ

今日のエントリーは、なんなく自我を受容し健全な精神を持ち合わせている人にとっては「はぁ??」という内容になると思うので、予め対象者を明示しておく

 

<自意識こじらせ系人間の傾向>

1.他者の期待に沿うことを過剰に重要視する

2.「何考えているかわからない」とよく言われる

3.自分が何をしたいか?と言われてもピンとこない

4.消去法で選択をする

5.自分で決断したという感覚がわからない

6.大声を出したり、激しい怒りを表すことが苦手だ

7.時に他者を狂おしいほど求め、時に孤独を狂おしいほど求める

8.1~7のような傾向をもつ自分に有意識であり、そのことで無能感・無価値感に苛まれる

9.8について自己憐憫に浸りそうになる自分にさらに幻滅する

 

さて、自己評価はどうだろう?

書き出してみると中々アレな項目ばかりだが、「自意識こじらせ人間」はしばしば「いい人、優しいひと、しっかりしている人、真面目な人」などのレッテルを張られることになる。他者からは、中々わからない性質なのだ。

 

「答え」を用意しなければいけないという強迫観念

資本主義社会において金を媒介とした「ビジネス」というフィールドにおいて、私たちには「高速」「簡潔」「効率的」「論理的」な態度をしばしば要請される。

 

そして、その態度をもって「自らの存在証明をせよ」と市場は要請してくる。

 

あなたの夢はなんですか?あなたの目標は何ですか?具体的にいつまでにどのような状況になることですか?なぜ、そのように思うのですか?なぜ、そのように考えるのですか?なぜ、それがやりたいんですか?なぜ、それが好きなんですか?なぜ、なぜ、なぜ・・・・

 

よくある「なぜなぜ」問答だ。

物事を俯瞰的に捉え、一つの事象から「なぜ」という問いを起点に、自分の思考の全容を明らかにしていく。自分がどんな価値観をもっているのか?また、今後何をしていきたいのか?など、「自分を知る」ために非常に有効な手段である。

 

自意識こじらせ系人間がはまる罠

しかし、自意識こじらせ系人間であるあなたは、この「なぜなぜ」問答の使い方に気をつけなければいかない。「なぜなぜ」問答は、「自分のことを深く知る」という目的においては非常に有効である。しかし、あなたは「自分のことを深く理解する」よりも、「相手の期待に添う回答をする」という目的を優先するだろう。

 

あなたは、「相手の期待に応えよう」としすぎるのだ。そして、その性質によって、あなたは簡単に自分を見失ってしまう。そして、そのことにもいつしか気付けなくなる。

 

少し、思想的な補足をしようと思う。

本心とは

自分のことを深く知るとは、「自分がどう生きたいのか?何がしたいのか?」を知ることだ。では、そのことを知る為には、どうすれば良いのか?

それは、

 

本心に至ることだ。

 

本心は、下の図の赤い部分の領域にある。色々な呼ばれ方があるので、ざっくり捉えてもらえればいいと思う。

 

人間は、生まれた瞬間は「本心」のみだ。しかし、それから生きていく上で、様々な情報を取り入れて、「心」を形成する。例えば、家庭での常識、学校での常識、メディアからの情報など。どんどん「心」は肥大化する。そして、「本心」を意識することなく、本心ではない部分によって、思考・行動をしていくと、いつしか「本心」に至ることができなくなってしまう。

 

 

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なぜ、自意識こじらせ系人間は、簡単に自分を見失うのか?

本当の意味で自分を理解しようとしていないからだ。

「自分を理解している」という自分をみせて、相手の期待に応えることしか興味がない。そのためだったら、「本心」に至ろうが、至ろうまいが、どうでもいいのだ。

 

耳障りの良い夢を語り(社会的に賞賛されそうかな?壮大すぎないかな?ちっぽけすぎないかな?ちょうど良いスケール感かな?親の期待に添いそうかな?会社は好きそうかな?)

耳障りの良い自己紹介をし(社会的に賞賛されそうかな?善人っぽそうすぎないかな?悪人っぽそうすぎないかな?ポジティブすぎないかな?ネガティブすぎないかな?)

耳障りの良い思考や感情をもらす。(相手に理解してもらいやすいかな?)

 

もはや条件反射。無意識に行っている。全て、自分以外の何かからとってきた思考。とってきた感情。

 

あなたが、自分のことを他者に伝える時には、既にあなたの自我は存在していない。そのくせ、自分のことを自己理解が進んだ人物と思っている。

 

自己欺瞞甚だしい。

 

あなたは、自分を知るのは恐いのだ。自分のことを知って、それが他者に理解されないものなのではないか?ということに怯えているのだ。他者に理解されないことに恐れているのだ。他者がいなければ、自分を保てないのだ。

 

自分を知るのか、無視するのかを決める。

人の生き方はそれぞれだ。別に自分を深く知る人が正しくて、知ろうとしない人が間違っているなんてことはない。どっちでもいい。あなたが、どうしたいかだ。

 

ただ、私は、前者の道を選びたい。他者に理解されないのは苦しいし、痛い。でも、それ以上に自分に理解されないことはもっと苦しいと思うのだ。

 

なにか違うな..本当はそうじゃない気もする...でもうまく言えない...よくわからない...気のせいかな...こう言っといたらいいよね...その方が楽だよね...それが正解なんだよね...気のせいだよね...うん,そうしよう...その方がさ、わかってくれるじゃん。

 

そうやって、自分の「本心」に至る過程を放棄することは、ゆるやかな自殺だと思っている。世界から、自分の居場所がなくなっていく感覚。自己の存在が限りなく希薄になり、自分の存在を感じられなくなる感覚。

 

他者にどれだけ見捨てられようと、自分だけは自分を知って認めてあげたいと思うのだ。そうせざるおえなかったのだ。

 

だから、「自意識こじらせ系人間」であるあなたが、生きづらさに苦しんでいるとしたら、他者に理解されることを一旦諦めてほしいのだ。

 

まずは、あなただけは、あなたを知ってほしい。「他者の期待に沿うため」ではなく、「自分に自分を知らせるため」に、自分と向き合ってほしいのだ。他者に伝えることは、いつからでもできる。まずは、自分だけに集中しよう。ゆっくりやればいい。もっとゆっくりでいい。

 

正解はない。絶対の回答など、死ぬまで出ない。

 

「自分はどう生きたいのか?何を喜びに感じて、何を欲するのか?」

 

私は、その問いを自分にストレート投げかけ続けることで、前に進める。

大丈夫。大丈夫。