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望みを叶える物語

◆人生の主人公として、感動をうみだす◆幸せなライフスタイルをビジネスにする生き方を伝えます。

【エッセイ】「僕はね、人は自らの意思に基づいて行動したときのみ、価値を持つと思っている。だから様々な人間に秘めたる意思を問いただし、その行いを観察してきた。」-NGY〜KMN〜NGY-

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6月11日。木曜日。

名古屋を2週間後には離れる予定だ。

 

長らく迷走・瞑想していた期間も終わりに近づき、何か掴めた気もする。とはいえ、この先も引き続き迷走・瞑想していく予感もする。まぁ、それも引き受けて進むしかない。

 

 

再び、熊野へ 

先日は、この瞑想期間の締めくくりとして、和歌山県熊野の友人を訪ねた。今年2回目の訪問になる。

以前の訪問↓

 

blog.nekopenguin.com

 

友人の家族は相変わらずとても温かく、居心地がよかった。そして、幸せそうにみえた。もちろん、私が見えていない部分では、彼らにしかわからない苦悩や迷いや不安などがあると思うのだが、それでも尚、私を迎え入れてくれた彼らから幸せをわけてもらえた気がする。

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私はとても幸せだ。

 

迷い・悩み・不安で人は死なない

私は、すぐに迷う。悩む。不安になる。絶望する。そして、「迷う・悩む・不安になる・絶望する」自分に対して、「価値がない」とレッテルを貼りたがる癖がある。あまり褒められる癖ではない。

人間は、一次的感情では死なないと私は思っている。悲しみは、悲しみという感情であるし、怒りは怒りという感情であるし、虚しいは虚しいという感情であるし、寂しいとは寂しいという感情であるし・・・・つまり、感情はただそこにあるものだ。

その感情自体が、自らを攻撃してくる訳でも、殺そうとしてくる訳ではない。

 

では、何が自分を攻撃してくるのか?殺そうとしてくるのか?

 

それは、「"悲しみを感じている自分"は無価値だ」あるいは、「"悲しみを感じている時間"は無価値だ」という自らの思考や、またその思考から生まれる二次的な感情(絶望)なんだと思う。本来は、そこになかったもの。自らが生み出した怪物。

 

自ら生み出した怪物によって、自分が喰われてしまうという悲劇。まぁ、こんな風に書くと大げさだが得てしてありがちなことだ。

 

「悩むこと」に絶望する。

「迷うこと」に絶望する。

「悲しむこと」に絶望する。

「怒ること」に絶望する。

 

結構な、独り相撲である。

今、私はどんな風だろう?

 

 

自らの意思に基づいて行動する価値

 

私は、アニメが好きだ。とりわけ、人間の不完全さや愚かさを描いた作品が好きだ。不完全故に、よりよいものを目指そうという意志や、希望を描いた作品に出会うと「なんとか明日も生きよう」と思える。

 

2015年の一番のヒットは、「サイコパス」。

PSYCHO-PASS - Wikipedia

舞台は、人間のあらゆる心理状態性格傾向の計測を可能とし、それを数値化する機能を持つ「シビュラシステム」(以下シビュラ)が導入された西暦2112年の日本。人々はこの値を通称「PSYCHO-PASS(サイコパス)」と呼び習わし、有害なストレスから解放された「理想的な人生」を送るため、その数値を指標として生きていた。

その中でも、犯罪に関しての数値は「犯罪係数」として計測され、たとえ罪を犯していない者でも、規定値を超えれば「潜在犯」として裁かれていた 

そのような監視社会においても発生する犯罪を抑圧するため、厚生省管轄の警察組織「公安局」の刑事は、シビュラシステムと有機的に接続されている特殊拳銃「ドミネーター」を用いて、治安維持活動を行っていた。

本作品は、このような時代背景の中で働く公安局刑事課一係所属メンバーたちの活動と葛藤を描く。

この作品の中では、「シビュラシステム」というシステムが社会秩序そのものであり、個人の生き方そのものを決定し「最大多数の最大幸福」を実現しようとしている。

シビュラシステム概要

サイマティックスキャンにより読み取った生体場を解析し、人間の心理状態や職業適性や深層心理などを分析数値化することで、従来はに見えなかった心の健康状態を診断し、適性やに見合った職業を提案し、趣味嗜好に沿った新しい娯楽を提示するなどして、人々がより充実した幸福な人生を送れるよう支援する生涯福支援システム

数値化というにも明らかなバロメーターが出たことで、心の健康を保つために効果的なセラピーやサプリメントなど明らかに結果が出るメンタルケアが発達し、職業適性診断により労働者と雇用者のミスマッチが解消されて失業者はほとんどなくなり、犯罪者や犯罪を犯しかねない状態の人間(潜在犯)は頭スキャナによりすぐに把握できるようになったため治安は善した。

これにより計測された数値をサイコパス(PSYCHO-PASS)と呼び、傾向と状態の善し悪しを視覚化した表層的なバロメーターを色相と呼ぶ。精密な数値の計測は分析に多大な処理が必要らしく、定期診断などでスキャンしたデータネットを経由し首都圏各地に設けられたサーバーによるクラウドコンピューティングで解析する必要がある。色相の診断は携帯スキャナなどの簡易な機械でも可であり、市民メンタルケアに役立てられている。

公安局の監視官や執行官が持つ拳銃ドミネーター」で読み取ったデータは、シビュラシステムの処理に割り込みを掛けて最優先で分析され犯罪係数を即座にはじき出す。その性質上シビュラシステムとのリンクは必須のため電波の届かない場所で使うために、有線接続のためのコードが付いた無線中継器などの装備も描写されている。

 

 「成しうる者が為すべきを為す。これこそシビュラが人類にもたらした恩寵である」

 

サイコパスの世界では、「自分にとって最大幸福な生き方は何か?」を自分で考える必要がほぼない。「何を選ぶべきか?」をシビュラが教えてくれる。シビュラは人生の羅針盤である。その羅針盤にさされた方角へただ進んでいけばいい。

 

その過程で、苦難や逆境はあろうとも、進む方向は絶対に間違っていないのだから、ただ進めば良い。

つまり、私たちは「どこへ向かうか?」という問いから解放され、「どう進むか?」という問いにだけ対峙すればよいのだ。

それは、それでいいのかもしれない。人生に迷う"無駄な"時間、"無駄な"努力、"無駄な"痛み...

 

"無駄な"

"無駄な"

"無駄な"

 

自分にとって"無駄な"つまり、"無価値な"一切のものをシステムが排除してくれるのだ。誰もが自己実現できる、素晴らしい世界だ...

 

本当に?

 

自分の存在の意味があらかじめ決まっている世界。何が自分にとって価値があることで、何が価値がないことか、"自分以外の何か"が決めてくれる世界。

 

迷ったり、悩んだり、不安に打ちひしがれたりしながら必死で前に進むが、大したものを生み出すことができずに、これまでの人生に後悔を残す。

 

そんなことを、「無価値だ」と一切切り捨てるシステム。

 

本当に、それは無価値だといえるのか?何かを効率的に生み出し、できるだけ間違うことをせずに、できるだけ痛みを感じずに生きることが、価値のあることなのか?

私は、そんな世界は嫌だ。誰かに自分の人生の価値なんて決められたくない。どんな言動をしていたって、誰だって必死で生きてきて「今日」がある。よりよい「明日」を願って生きている。

 

その意志こそ人間の人間たる尊厳だと、私は思っている。それさえ失うことがなければ、絶対に生きていけると思う。それを、他人が奪ってしまってはいけない。

 

 

生まれてきた理不尽

「生きる」ということを考える上で、「私は望んでこの世界に生まれてきたのか?望まずに勝手に生まれてきたのか?」という問いから逃れることはできない。

「子は親を選んで生まれてくる。」「人間は、この世界に生まれてくる前、どんな人生を送りたいか決めて生まれてくる。」と提唱している人たちもいる。実際、そういう記憶や体験がある人にとってはそうなんだろう。逆に、全くそんな記憶も体験もない人からしたら、理解不能だろう。

人類共通の観察しうる記憶や体験がない以上、この問いに対する普遍的な答えは当分見出せそう。

結局、それぞれがどんなスタンスをとるか?という信仰の問題だ。

 

ちなみに、私は「勝手にこの世界に産み落とされてきたんじゃ、ばかやろう」という態度だ。25年間生きてきて、未だにそうとしか思えないのだ。原初的には、私の人生の始まりは「生かされている」という受動的な態度である。

甚だ理不尽だ。

チープな家族ドラマのワンシーンで子が親に対して「望んで生まれてきた訳じゃないやい!」と叫ぶ、みたいな掛け合いがあるが、思春期の鬱屈した精神状態からの発言と片付けてしまうには、もったいない心理だと思う。

やっぱり、人生はもともと理不尽なものだ。

しかし、だからといって「理不尽なもんだから、どうしようもないや〜い」と匙を投げてしまうのは、負け犬根性丸出しで私は断固として拒否したい。

理不尽なものと自覚するからこそ、それに負けたくないのだ。「生かされてきた」人生から自らの意志で「生きている」人生に、この一秒、一秒塗り替えていきたいのだ。

それが、「死ぬ」という選択をしない自分のプライドであり、自分が自分である拠り所だと思っている。

人生は理不尽だ。自分で生まれるかどうか選ぶことすらできなかった。(と思っている。)始まりは、悔しいものだ。

だから、私は「ちくしょう、ちくしょう」と独りごちながら、前へ進むしかない。自分の人生に負けたくない。負けたくない。負けたくない。

 

「死ぬ」という選択は放棄するなら、絶対に自分の人生の理不尽さに負けてはいけない。

 

生きろ。

 

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