願いが叶う物語

"本当の自分"を表現したい貴方へ。自由な生き方&ビジネス教えます。

【隙間】淋しさの周波数

雨上がりの曇天の中、線路沿いの道を歩く。

各駅停車の電車が私を追い越してていく。小さくなる電車を見送りふと立ち止まる。進もうか、戻ろうか。さて、どうしようか。

 

そもそも、どこから来て、どこへ向かうつもりなのか。それすらわからないことに気付く。愕然とする。

 

 

気付きたくなかった。考えたくなかった。考えずにすむことならば、考えなくてもいい。人生は考えるには短すぎる。

 

生きるとは何だろうか?

幸せとは何だろうか?

夢とは何だろうか?

愛とはなんだろうか?

 

そんな問いに苛まれているうちは、それ自体に触れることは決して出来ない。
多分、その問いから自由になれている瞬間にこそ、その最中にいるのだろう。

 

最近、なんとなく気付いたことがある。人間は淋しいから考えるのではないのかと。
淋しさの隙間を考えることによって、埋め合わせなければ生きていけないのだろう。
一人では決して埋め合わせることができない隙間を誰しも抱えている。その隙間を、あらゆる手段を用いて埋め合わせようとする。

 

自らを仕事に埋没させることによって?
自らを恋情に突き落とすことによって?
自らを思索に溺れさせることによって?

生まれてから死ぬまで淋しさは消えない。淋しさを埋め合わせるために生きているといっても過言ではない。

 

できたら、お互いの淋しさを分け合って、回し合って、淋しさが人々の間を伝播し、それが一つの繋がりになればいい。互いを抑圧するでもなく、ただ淋しさが一つの場所にとどまらないように。爆発しないように。

人々の淋しさを電波でとばせたらよいのに。

77.7

77.8

77.9

...

ザッザッザッザ
チューニングをあわせて、いまどこかの淋しさを受け取ってあげれたら、確かに誰かのために生きていると言えるのに。

 

淋しさは消えない。
でも、いつしかこの淋しさすら感じることができなくなる日がくる。

ただ、今は感じるほかないのだ。

 

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