望みを叶える物語

◆人生の主人公として、感動をうみだす◆幸せなライフスタイルをビジネスにする生き方を伝えます。

他者とのコミュニケーションとは、恐怖を欲望によって征服することなのか?

殺したいと死にたいは限りなく同義である。

 

そう感じることがしばしばある。

 

「他者と自分」という関係性があるからこそ、そこに恐怖が生まれる。
私は他者を恐怖している。

 

それならば、「他者と自分」という関係性を壊してしまえばいい。どちらかを消してしまえばいい。破壊的な衝動が生まれる。

確かに、その衝動が私の内部にあるのを感じる。

近づきたいのに近づくことはできない。という憤りと虚しさ。その恐怖を私は嫌悪し、克服したいと願う。

 

そもそも、他者は恐怖する対象なのだろうか?この胸に迫る感覚は、普遍的なものなのだろうか?

 

とぼとぼ歩きスタバへ入る。ソイラテアイストールを注文する。

 

「今日はじめじめしてあついですね〜」

 

私の胸の辺りの硬度が増す。顔を見上げると、爛々とした二つの目と、綺麗に上がった口角が見える。私は恐怖する。目には目を、歯には歯を。私も口角を上げ、目を細め「本当にそうですね〜早く涼しくなってほしいですね」

 

私の硬度はますます増す。今にも走り出したい。逃げ出したい衝動を抑えるのに必死だ。ソイラテは時間がかかる。

 

彼女の笑顔はなんなんだろうか?私の笑顔はなんなんだろうか?

 

私は誰かと交わりたいと思っている。それでいて、交わることを恐怖している。硬くなった私は、20数年間ストックしてきたライブラリーから、手際よく最適な語彙を探し出し、外へ吐き出す。

 

探しては吐き出す。その精度はますます上がり、上がれば上がるほど、私は誰とも交わらなくなる。

 

そのことに気付いてからは、それすら面倒になる。

 

交わったように見える他者の所作が、全てがおままごとに見えてばからしくなる、それでいて羨ましい、壊したくなる。

 

壊したくなるのだ。

 

「他者と交わる」ことを渇望しながらも、他者自体への興味が湧いてこない。それは、私が恐怖しているからだろう。

 

逃げ出したいからであろう。

 

逃げ出したいのに、近づきたい。

 

他者は恐怖する対象なのだろうか?

 

だったら、征服すればいい。

 

私は、性欲の限りをつくし、その恐怖を克服しようと試みる。柔和な笑顔、オープンなん素振り、理解を示すかのような言葉、デコレーションされた好意のようなもの。

その全てで、征服したい。

その先に何があるのか?益々の疲労感、虚無感。逃げ出したいけれど、近づきたい。

 

征服することなく、逃げ出す事なく、他者と交わることはできるのだろうか?

 

私は、その解を探している。

 

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