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【おすすめ】死にたいと思った時に読むべき小説5選〜カタルシス篇〜

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私には「もう死にたいな」と漠然と思う瞬間がしばしばありました。

何甘っちょろいことを言っているんだ!と思われるのも当然ですが、事実しばしばあったから困り者。

もちろん、積極的に死を選ぶ!という態度ではなく、なんか「生きる手応え」みたいなものを中々感じることができない日々が続くと、そんな思いに苛まれます。

(参考記事:『生きる手応え』) 

 小説の世界へ逃亡する

「死にたい」と思うその時、私は小説の世界に逃亡します。「生きる手応え」がないとは、言い換えると自分の人生の「意味(何のために、何を目指して生きているのか?という指針)」「強度(今日もなかなか悪くなかったという感覚)」が薄くなっている証拠です。

(参考記事:意味・物語を諦めろ。ひたすら強度・密度を追い求めろ。 )

 

「意味」については一朝一夕でどうこうすることはできませんが、「強度」については「感情を揺さぶる」という方法で結構それなりに効果があったりするんです。特に、辛さ・苦しさ・悲しみ・虚しさ・切なさみたいなものを溶かしてくれる、つまり「カタルシス」を得ることが重要です。

 

ということで、これまで個人的に「カタルシス」をびびっと感じた小説を紹介します。

 

死にたいと思った時に読むべき小説5選

1.流星ワゴン (講談社文庫)

 

流星ワゴン (講談社文庫)

永田一雄は死んじゃってもいいかな、と思っていた。

仕事はリストラ寸前・妻からは離婚・子供は引きこもり。地元で入院している父親を見舞に行った時に貰える交通費の余りで何とか暮らしている有様。その父親も癌でいつ死ぬかも分からない。父親の見舞帰りに駅で酒を飲んで酔っ払っていると、ロータリーに1台の車が停まっている事に気が付く。その車には5年前、偶然見た新聞の交通事故の記事で死亡が報じられた橋本親子が乗っていた。言われるがままにその車に乗り込む一雄。そしてその車は一雄を、人生の分岐点へと連れ戻す。

降り立ったのは、仕事の途中で妻を見かけた日。他人の空似だろうと仕事に戻ろうとした所に、一人の男が目の前に現れた。一雄はその男の事を、よく知っていた。

その男は今の自分と同い年、38歳の時の父親だったのだ。

 

 幼い頃思っていた大人とはほど遠い自分。弱くて、ださくて、醜くて、女々しい自分を引きずりながら、なんとか毎日生きている人におすすめです。ハッピーエンドでもないし、別にわかりやすい希望がある訳でもないけれど、自分は自分でしかなくて、それでも絶対生きていかないといけない。と確信させてくれる一冊です

 

2.ひそやかな花園 (講談社文庫)

 

ひそやかな花園 (講談社文庫)

 

幼い頃、毎年サマーキャンプで一緒に過ごしていた7人。
輝く夏の思い出は誰にとっても大切な記憶だった。
しかし、いつしか彼らは疑問を抱くようになる。
「あの集まりはいったい何だったのか?」
別々の人生を歩んでいた彼らに、突如突きつけられた衝撃の事実。
大人たちの〈秘密〉を知った彼らは、自分という森を彷徨い始める――。

親と子、夫婦、家族でいることの意味を根源から問いかける。
『八日目の蝉』から三年。衝撃と感動に震える、角田光代の最高傑作誕生。 

 自分が「今日、いまここにいる」ことの不確かさや、意味不明さに漠然とした不安を抱えている人におすすめ。

あるキーマン二人が居酒屋で酒を飲み交わしながら「大根おろし」の食べ方について語るシーンは、自分の世界を窮屈にしているのは自分だ。ということを実感します。

もしさ、きみがいなければ、大根おろしにもうひとつの運命はないわけだよ。きみが見るもの、きみが触るもの、きみが味わうもの、全部人と違う。きれいごと言ってるんじゃなくてさ、事実。聖職者には彼の世界があって、犯罪者にだって彼の世界がある。ぜんぶ違うから、面倒もあれば悲劇がある。きみがいなければ、きみの見る世界はなかった。それだけの話だよ。女とつきあえない、友人関係が持続しない。だれの世界とくらべて欠落なんだ?大根なんか、どうやって食ったっていいんだよ 

 

3.何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

 

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

 

施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している―。どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。 

 「僕」と死刑囚の山井のやりとりはもちろんだが、そこに介在する「僕」の友人・真下の存在がキー。思春期から一生つきまとう問いと葛藤「(自分は何者かになりたい、自分には特別な何かがあって欲しい」「こういう考え自体を気持ち悪いとか馬鹿正直だと、思えるそんな幸せな人間になりたい」)

これを、そのままひきつれて死んでいくのもいいものだ。と逆説的に肯定してくれる作品です。

現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前をつなぐ無数の生き物の連鎖は、その何億年の線という、途方もない奇跡の連続は、いいか?全て今のお前のためだけにあった、と考えていい。

 

4.GO(角川文庫)

 

GO 角川文庫

 

「これはオヤジでもなくオフクロでもなく、僕の物語だ」。都内の私立高校に通う在日コリアンである主人公「僕」は、ダンスパーティーでコケティッシュな魅力をもつ「在日ジャパニーズ」の女の子に出会い恋に落ち、そして…。   在日コリアンたちを取り巻く複雑な状況が織り交ぜられているものの、「僕の物語」すなわち本作の根幹は、たわいもない恋愛物語だと判断することもできる。しかし、この物語が、根強く残る差別に対する抵抗の物語でもイデオロギーによって引き裂かれた民族の悲劇の物語でもないところに、著者と著者が代表する「在日」の新たな世代の志向を伺うことができよう。国籍を「在日朝鮮人」から「在日韓国人」に変え、やがて「在日」あるいは「国籍」という枠の外にある広い世界を志向する主人公の思いは、父親がスペイン語でつぶやくこの言葉に象徴されている。「僕は、韓国人でもない、日本人でもない、ただの根無し草だ」。   恋のてんまつはいささか安易すぎる感もあるが、主人公をはじめ、元プロボクサーである父親、主人公と同じくアイデンティティーの揺らぎに悩む朝鮮民族学校時代の同級生たちなど、どの登場人物も、人物造形が確かで生き生きと描き出されている。 

今から約10年前、私ははじめて「Go」を読みました。こんな主人公みたいに強くなりたい。優しくなりたい。と願いました。自分の力ではどうにも変えられない理不尽と闘いながら、その理不尽すら自分に取り込んで、大事なものを守っていこうとする姿勢に励まされ、ちょっとした希望をもちました。

映画もかっこいいし、とにかくこれまで会った全ての人におすすめしている作品です。

 

「名前ってなに? バラと呼んでいる花を 別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」シェイクスピア 

 

5.ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

 

ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

 

「わたしはこの本で人類への最大の贈り物をした」(ニーチェ)。あかるく澄み切った日本語による正確無比な翻訳で、いま、ツァラトゥストラが蘇る。現在もっとも信頼に足るグロイター版ニーチェ全集原典からの初の文庫完全新訳。読みやすく、しかもこれ以上なく哲学的に厳密な、ツァラトゥストラ訳の新標準が、遂にあらわれた。―この危機の時代のために。ふたたび。諸君、ニーチェは、ここにいる。

哲学者ニーチェの思想が凝縮された作品。これは、哲学書として、詩として、文学として、どうとでも読める。作品全体に流れる力強さ・絶望・希望が疾風怒濤の如く襲いかかってくる感じ。「生きる」ってこういうことか?みたいな手応えを確かに感じることができます。

創造――それは苦悩から我々を解放する大いなる救いであり、生の軽快化である。
だがまた、創造する者が生まれ出るために苦悩と多くの変身が必要なのである。そうだ、傷つけることのできないもの、葬ることのできないもの、岩をも砕くものが私には備わっている。
その名は私の意志だ。それは黙々として、屈することなく歳月の中を歩んでゆく。
私の昔ながらの伴侶、私の意志は、この私の足によって、己の道を行こうとする。
彼の思いは堅く、不死身である。

 

「死にたい」=「生きたい」

「死にたい」から「生きたい」のであり、「生きたい」から死ぬのである。とか私は真面目に思っています。

人間は、この一瞬一瞬に自分の存在を賭すべき何かを探しているし、「賭している」という手応えを得たい。

だから、どれだけでも何度でも「死にたい」と思っていいし、口に出してもいい。その「死にたい」が1mmでも前に進む原動力になるなら。

 

小説の世界に触れることは、確かにその1mmになると私は信じています。

 

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