願いが叶う物語

純粋で、透明な、自然【Natural Being】へ還る。

言葉で語れるもの〜最近のテーマ〜

自分の中に静かな変化を感じる。

 

それは、はじめてのようでどこか懐かしい感じがする。

 

毎日、気功や瞑想をする中で、ふっと蘇る記憶や感情がある。

 

それは、寂しさであったり、怒りであったり、恐怖であったり、どちらかというとネガティブにみられるものが多い。

 

でも、そういったものを"抱えている"と認められている自分に、どこか豊かさを感じている。

 

僕は、昔から「自分はこんなもんじゃない。もっと素晴らしい存在のはずだ。」という考えと、「自分はなんて無価値で、いらない存在なのだろう。」という考えにいったりきたりしながら支配されてきたように思う。

 

今、たちどまって感じてみると、それはどちらとも真実であり、どちらとも僕を前に進めてくれるものだと思っている。

 

全てを許し、愛し、安らぎと調和に満ちた世界を望む一方で、自分の存在を世界に誇示し、誰も彼もをひれ伏させたいと望んでいる。

 

こんな矛盾を抱えながら生きているのが僕という人間だと思う。

 

僕は自分の置き場所を教えてくれない世界を憎み、同時にどこまでも従順であろうとした。

 

 

自分はもっと素晴らしい存在であり、それをもって他者に貢献することができる、世界をよくすることができる!と思っていながら、その方法もわからない。
だったら、世界が要請してくる物事を従順にこなしてみるが、それも腑におちない。意味を感じられない。

 

その繰り返しの中で、いつの間にか袋小路に入り込み、僕の世界がどんどん狭く小さく窮屈なものになっていった。

 

誰も傷つけたくない。という心の中心に「傷つきたくない。間違いたくない」というナイーブな自分がいることに気づく。

 

僕は優しい力がほしい。

いや、優しい力をもっていることを思い出したいと思っている。

その出会いを切望している。

 

そして今、その片鱗が見えかけている。

 

だから、進もうと思う。

自分の信条と反しようとも、どこまでも自分を駆り立てるこの衝動に身を任せてみようと思う。

 

行く先に何があるかわからない。物事の真の目的は、それが終わった後に見出されるものだと思って、ただ求めてみる。

 

「求めよ。されば、与えられん。」

 

まだまだ思い出していない自分がいる。それを思い出すために僕は生きている。

 

言葉を語ることなんていらない。それは終わってから語ればいい。

 

誰がなんと言おうと、恐怖をひきつれて。

 

ただ、前へ。