望みを叶える物語

◆人生の主人公として、感動をうみだす◆幸せなライフスタイルをビジネスにする生き方を伝えます。

「期待する」こと-「待つ」こと

僕は「待つ」ことが苦手だ。

 

「待つ」こととは、「予測不可能性」を愛することといってもいいかもしれない。

 

それは、「期待する」こととは全く違うと思う。

 

「期待する」ことは、「予測可能性」を信じることといってもいいかもしれない。
自分の望ましい状況、理想とする状況を自分の時間に手繰り寄せてくること。

 

でも、「待つ」ことは、そもそも何を待っているのかさえ判然としないところで、成立するものだと思う。

 

 

 

最近は、毎日簡単な気功と瞑想を行っていて、その中ではこの「待つ」ことが問われる。

 

例えば、気功の中で「站とう法」というものがある。

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これは、この姿勢のまま、ただ立ち続けるというものだが、想像以上の奥深さがある。何か動きがあるわけでもない。一見、何も変化が無さそうな状態。

 

しかし、その状態でただ「待つ」をしていると、ふと思いもよらない自分の変化と出会うことがある。

 

それは、身体の状態の変化であったり、記憶の彼方に追いやられていた記憶だったり..

 

しかし、それは「期待」した瞬間に、感じられなくなってしまう。「期待」するとは、対象があってはじめて成り立つものであり、「期待」した瞬間、「期待」もの以外を見る可能性を捨ててしまうことにもなりうる。

 

とにかく「待つ」ほかない。

 

これは、僕の個人的な感想だけれど、「待つ」ことは"恐怖"だなと思う。

 

何も保証がない中で、何かを期待するでもなく、ただひたすら「待つ」

 

自分のちっぽけな存在に気付き、浮ついた足元を感じ、得体の知れない何かにのみこまれてしまう感覚...

 

僕は弱い。

 

だから、そこから逃げるために、動いてみたり、考えてみたり、何かを「期待」してみたりしてしまう。

 

それをしているうちは恐怖から逃れられるから。

 

ふと、僕の人生そのものだなと思った。

 

それに気づいた時、もう少し「待つ」をしてみようという気持ちを強くした。

 

感受性を開いて、もろくも繊細な自分でいること。

 

「待つ」ことを上質なものにすること。

 

生きるということ。

 

 

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