願いが叶う物語

純粋で、透明な、私へ還る。

大学時代(1)「目的のない大学進学→学外活動&ビジネスへの関心へ」

(前回はこちら)

 

悔いの残る大学受験

高校時代、心理学や哲学にどっぷりと浸かっていった私でしたが、いよいよ大学受験の時期です。

志望校は?学部は?

 

 私は、一番自分の探求したい分野を学問するためには「京都大学」がいいのではないか?と考えていました。

理由は安直で、日本においての心理学の権威である河合隼雄先生 が京大であったからです。学部は、教育学部(心理学)か、あるいは総合人間学部(リベラルアーツ)かのどちらかにしようと考えており、両親に相談したところ...

 

簡単に妥協...

母が猛反対・・・母が悲しむ姿が記憶に残っています。

父は・・・あまり印象がありません(笑)

当時を振り返れば、理由は様々あったのでしょう。

  • 大学卒業までは名古屋にいるという、なんとなくの母の認識
  • 私が中学時代、ふと口に出した「弁護士か検事になろうかな〜」という一言への母の期待(おそらく、ドラマHEROの影響)
  • とにかく生活全般における母の不安感

 なんか色々と言われた気がしましたが、とにかく予想以上の反対に完全に面をくらってしまいました。

今ではわかります。母には母の事情があり、父には父の事情があった。そういうことなんです。(このあたりはまた別の機会へ)

 

もちろん「自分の人生なんだから自分の思ったように生きるわ!」とかぶつかればよかったと思うのですが、当時の私は「あ〜もうどうでもいいや」と簡単に諦めてしまいました。

意志が弱いといえばそれまでなんですが、自分が孤独・不安の中で描いた未来すらも、否定されることに絶望したんですね。

 

「母の期待通りの進路にしとけば、波風立たないなら、それでいいか〜めんどくさいし」

 

いやいや、ダメでしょ!と突っ込みたくなるのですが、当時は相当視野が狭く、こういった結論を出してしまいました。

 

「自分のやりたいことは、何としてでも発信し続けろ!」

「誰かのせいにして我慢することは、自分に被害者意識を植え付けることだぞ!」

 

当時の私に送りたい言葉です。

 

低空飛行でなんとか大学入学へ

「大学行かないと、手に職もない自分は生きていけない!」とよくわからない強迫観念をのおかげで、なんとか期待通りの名古屋大学法学部へ入学。

 

とはいえ、法学部の勉強にもとから興味がなかったため、1年生前期から大学に行かなくなるのでした・・・

 

今思えば、大学に行かせてくれたことは両親に大いに感謝することですし、結局最後は自分の意志で選んだのですから、自分の責任なわけです。

 

ただ、子供だった自分はふてくされて「被害者づら」をしてしまっていました。

 

親を悲しませたくないという、思いやりの感情

自分の想いを理解してくれないという、寂しさの感情

なんで人のために我慢しなくちゃならないんだという、怒りの感情

 

それがごちゃごちゃになって、また訳がわからなくなっていたんでしょう。

 

「自分の感情に繊細になる。自分の想いから逃げない。」

 

このことを忘れずにいたいと思います。

 

しかし、この"不本意”な大学進学のおかげで、私は「学外活動」にて一生涯の財産となる経験ができました。

 

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