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望みを叶える物語

◆人生の主人公として、感動をうみだす◆幸せなライフスタイルをビジネスにする生き方を伝えます。

「怒り」は、「もっと自分を大切にしようよ。基準あげようよ。」というサイン

最近、久しぶりに、爆発的に怒った。
 
激おこだ。

 


 
僕は、お客さんから

「笠松さんて、怒らなさそうですね」
 
って、いつも言われるけれど
 
実は、しょっちゅう「怒って」いる
 
ただ、外から見て「怒っていない」ように見えるのは
 
自分の中で、瞬間的に「怒り」を爆発させて

感じきって
 
その奥にある「本音」を捉えようとしているからだ
 
そう。

「怒り」の奥には
 
「もっと、自分を大切にしたい」
 
という本音が眠っている
 
だからこそ
 
僕は、「怒り」という感情こそ
 
自分を幸せにするために
 
一番大切なものだと思うんだ
 
「怒り」は自分への最高の「愛」だ。
  
今回、「怒り狂った」出来事を経験し
 
改めて確信した
 
まぁ、みっともないこと承知で(笑)
 
「怒り」=「愛」を受け取るための
 
プロセスを書いていくから
 
ぜひ、参考にしてみてね^^
 
※いつもより、言葉づかいが悪いですw
——
僕は2月末に
  
琵琶湖に引っ越しをする予定だった
 
個人的なつながりがある方が

オーナーだったので

不動産屋は通さずに

オーナーさんと交渉し、入居も双方合意した
 
そこから

今の家の解約手続きをすませ
 
引っ越し業者の見積もり・契約もかたづけて
  
「あぁ、やっと面倒なことやりきった!」
 
と、ちょっとした開放感に浸りながら 
 
一息ついていたタイミングで
  
突然、オーナーから連絡・・・
 
「気分が変わったから、貸したくない」
  
その一言。
 
「え、このタイミング?なに?!!」と驚き、焦りながら
 
理由を問うても
  
「気分て、かわることあるでしょう?」
 
「本当はね、もともと貸したくなかったの。」
 
という、ショッキングな発言。
 
「このタイミングで何言ってるの?!」
 
もう、ぶちぎれた
 
当たり前だ
 
どれだけ、人のことをバカにしているのかと
 
これまで引っ越しのために動いてきた
 
人の時間・労力をどれだけないがしろにしているのか
 
次の家も見つかっていない状態で
 
退去しなくちゃいけない窮地に追い込まれる 
 
こちらへの配慮は・・・??
  
そのことへの「謝罪の言葉」も一切なければ
 
そこにかかった「費用」や「生活の保障」の提案も一切ない
 
もう、ありえない
  
人を、なめきっている
 
—— 
「気分て、かわることもあるでしょう」
 
それは、全くそうだ。
 
すべて、それは人の自由。
 
ただ、自分の行動の
 
「結果」には「責任」をもつべきだ
  
僕は、そう思ってる
 
「自由」と「責任」はワンセット 
 
「やりたいように、やればいいけど、その先の現実を受け止めろよ。
 
それが、大人のあり方だろ!」

——
 
この時、僕は本当に怒っていた
 
「しっかりと
 
この仕打ちの責任をとってもらうわ。
 
どこまでも裁判だ!」


こんな具合で、留めることなく
 
とにかく怒った 
 
そして、
  
自分でこうやって言葉にしながら
 
自分の中の
 
怒りを感じ尽くしてみた
 
そうしていくと
 
少しづつ
 
胸の中にあった「よどみ」「重み」「熱さ」が
 
ぬけていって
 
「怒り」がす〜っとひいていく
 
タイミングあった
 
そこまでいって
 
改めて、自分に問うてみた
 
「この出来事は、自分の何が引き起こしたのか?」 
 
僕は、すべての出来事は、自分が創り出していると思っている

その価値観で世界を見ている
 
外側の出来事は

必ず自分の中の”何か”とリンクしてるんだ
 
そこから見たときに、二つ気づいたことがある 
 
一つ目が
「イラっとした違和感を放置したこと。」

二つ目が 
「自分の理想を大切にしてきていなかったこと」
 
そうなんだ。
 
ここまでのオーナーとのやりとりで
 
しばしば「なんかおかしくない?」ということを
 
感じていたんだ
 
でも、その時は
 
「まぁ、いいか」
 
とその違和感を無視していた。
 
もし、あの時に、その違和感を伝えて
 
話あっていれば、ここまで
  
窮地に追い込まれることもなかったかもしれない
 
あとは
 
そもそも、自分の一番心ときめく
 
理想の「お家」を選ばずに
 
心のどこかで
  
「金額」や「条件」など
 
損得で判断していた部分もあった
 
そこに行き当たった時に...絶望した!
 
「全然、自分大切にしてなかったわ。
 
そりゃ、現実もこうなるわ」
 
その上で、 
 
「次からは、ぜったい自分の理想の基準を守ろう。
 
違和感を感じたら、リアルタイムに処理しよう。」
 
そこまで、決めた
 
ここまで感じ尽くし

考え尽くすと
 
この「怒り」の出来事が
  
「学び」の出来事にかわる
 
この出来事は
 
自分のミステイクには変わりないけれど
 
次に活かせる糧になった
 
——
 
こういうプロセスが

「怒りをものにする」ことだと
 
僕は思っている
 
そして、「怒りをものにする」と
 
現実が、勝手に

豊かな方に流れ始める
 
例えば
 
本当は、退去しなければならなかった家だけど
 
大家さんの特別なはからいで

退去を取り消してもらえたり
 
引っ越しのキャンセル料が、かからないようにしてもらえたり
 
仕事では

ぽけっとしてるだけで
 
勝手に
 
一気に100万円以上
 
商品が売れていったり
  
さらに基準の高いワクワクする
 
プロジェクトのスタートも決まった
 
そう。
 
「怒り」は

「もっと自分を大切にしようよ。基準あげようよ。」というサインなんだ。
 
本当は、もっと豊かなステージにいくべき
 
タイミングなのに
 
それを放置していると
 
「おい、そろそろ、基準あげようよ」
 
そうやって「怒り」が教えてくれる
 
だからこそ
 
間違いなく
 
◆「怒り」は自分への最高の「愛」なんだ
 
今回は
 
本当、タフな出来事だったけど
 
この出来事をへて
 
次のステージが、整ってきた感じ
 
また、新しいプロジェクトについて
 
こらから公開していくから
 
楽しみにしていてね!

◆「怒り」は、「もっと自分を大切にしようよ、基準あげようよ」というサイン
  
僕らなら、大丈夫。
 
大丈夫。